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楢下宿のお話

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慶長7年 (1602) に設けられた楢下宿駅は、参勤交代で羽州街道を利用する秋田藩や庄内藩や山形藩主、豪雪の時は米沢藩などを含む十三藩の大名が通る主要な宿駅だった。

羽州街道は、福島県伊達郡桑折町から分かれ小坂峠を越え宮城県白石市の上戸沢・下戸沢宿、刈田郡七ヶ宿町の渡瀬 (現在は湖底) ・関・滑津・峠田・湯原の七宿駅を経て、金山峠を越え山形県に入る。
途中の千蒲と金山は「間の宿」と言い、楢下・上山・松原・山形の各宿駅を経て秋田県の久保田へと続いていた。

久保田から背森市大浜を通り奥州街道へと合流した。

楢下宿の文献には、番所 (関所) 同心・・・宝暦7年(1757)の洪水前の番所は下町にあったが、洪水後に新町へと移り現在の楢下郵便局舎が番所跡となっている。
宿場の南と北に番所を設けて通行人を改め、捕物道具一切が備えられていたという。

他、本陣 (街道の宿駅で、大名・公家・ 幕府役人などが宿泊した公的な旅宿)・脇本陣 (本陣の予備にあてた宿舎)・問屋 (荷主から委託された貸物を販売したり、または、商品を仕入れて販売したりした卸売商人) などの旧家の名が多く残っている。
上山市指定文化財である楢下宿脇本陣「庄司屋」は、準本陣級の格式を持ち、庄内藩主の定宿とされ、庄内候の煙革盆や拝領品が今に残されているが、そのほかの藩候の関札も残されているので、広く利用されていたとみられる。

「庄内屋」は楢下に残された家屋の中では最も古い時期のもので、十八世紀中期頃に建てられたものと推測されている。

※丹野こんにゃくの大本家は、脇本陣を担っていた滝沢屋。
元禄以前から、滝沢川の水で造った銘酒 (滝沢諸白) の酒造家。
丹野こんにゃくの家紋でもある「並び瓶子 (ヘイシ)」は、酒器を一対として布に包み将軍に献上していた事に由来している。
また、家の玄関の開門 (ひらきもん) は、殿様から許可されて造った門で、門株といい、家紋の並び瓶子も殿様から直に頂戴した紋という謂れも伝えられている。

上山市指定文化財の「新橋」は、通称めがね橋と呼ばれ、新町から下町に通じる間を流れる金山川に架けられたアーチ式の石橋。
昔は木橋で、洪水のためしばしば流されていたため、その都度の修理架け替えは大変な苦労があった。

明治初期に三島通庸が県令になると西洋の土木技術が導入され、石の橋が架けられるようになった。
この橋もその一つで、エ事費の千円余のうち、県から三百円を下附金として補助され、残り七百円余は地元が立て替えて架けられた。
この金を、通行する人・人カ車・荷車等から橋銭として特に微収したと言う珍しい橋だった。
明治十三年八月に竣功し、橋長14.7m、全幅4.4m、アーチの高さ約4.4m、川床部の径約12m。
石材は大門石と呼ばれる凝灰石が用いられている。

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